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- 2010.04.14
- ひとりごと
第29話 世の中の社長が2010年に考えていること

またしても、サボりました。
36日ぶりのBLOG。
初代 経理の特命レスキュー隊 隊長の冨松 壱です。
今日(昨日)は三略会の2回目の出席。(前回記載の「隋踵塾」の母体の会です。)
1回目は、とにかく見てるだけのお客様。
2回目以降は、下っ端。
何と言っても、選ばれた経営者だけ85名が集まり、
中には上場企業の社長や、超老舗の社長、メディアにもよく出ている社長。
圧倒的に若輩な私は、居ること自体が精一杯な場です。
内容は、タモさん(橘先生)のお題に沿って、他の84名に向けコメントをする場。
年齢順では、圧倒的な若輩の私は、末席に。
ここで紹介しますが、前回BLOGにも、触れましたが、
橘 三郎先生(還暦)は、吉田松陰の生まれ変わりじゃないかな?
と、感じるくらい学べる方です。
”難しい話”を”理解できるよう”に”解り易さ”という絶妙のスパイスが施されており
私に足りないビタミンを補って頂くことができ、
スムーズに吸収できるすごい力の持ち主です。
ちなみに僕の手帳には、「三略会」「三若会」「三耕会」「隋踵塾」と記載する後ろに、
(お得!お得!)とメモを書いています。
さて、お客様状態を脱した最初のお題が、
『もし鳩山さんの代わりに、オバマさんと会ったら』
どうする?”でした。
迷いました。
…ボケるべきか?
…真面目に答えるべきか?
…で、とっさに出た回答は、「私はオバマさんに、向け(ボディランゲージでアピールする目的で)踊ります」でした。
(言ってしまった。)
(会話のオチも用意しないまま…。)
橘先生「どんな踊りをするんだ?」
(キタキタ?!)
私「柔道の形で、ダンスします。」と。。。。
(「なんじゃそりゃ?」俯瞰したもう一人の僕は、即座にツッコミを入れます。)
(案の定、周囲無言)
発した回答に対して84人の経営者と橘先生を前にした僕は、 「柔道の形で、日本をアピールして日本を知ってもらいます!!」
とギリギリの格好で、”ちょいいい”話に発展し、「君は柔道をやっていたのか?」と、
ツッコミを受け、「ハイ柔道弐段です!」(但し、14年ぐらい離れているので…今の体はオッサンです。)と。
柔道を死ぬほどやった人にとって、”段位は問題ではない”が、 経営者の集まりで”柔道弐段”は、”意外に好印象”だったことを実感しました。 「君は講道館か?」
「ハイ、講道館です。(ってか、柔道って講道館しか知らないっす。)」
と、ほぼ自分でもよくわからぬまま、1分ぐらいの時間が過ぎると、
今度は、極度の緊張から脱した私は、急にトイレに行きたくなりました。
(「ヤバ、めっちゃトイレ行きてぇ」)
それもそのはず、今日の東京は4月史上気温の低い一日で、
手元の温度計は7度。(そりゃ皆様コート着るわなぁ)と思いつつも
我慢。
そんな気候の影響もあって、何名か会の最中にトイレに立つと、
竹中半兵衛の息子の話になり、
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半兵衛の息子の左京(後の竹中重門)に軍物語について教えていると、
左京が急に席を立ってしまった。
半兵衛が理由を聞くと、小便だという。
これに半兵衛は怒り、「たとえ小便を垂れ流そうとも、軍談の席を立ってはならない。
竹中の子が軍談に聞き入って座敷を汚したと言われれば、竹中家の面目であろう」
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この話が出て、ますますトイレに立てない。
しかも今日は、橘先生の隣に僕が座っている。
(「アチャー。 ┐(´.`)┌)
それから膀胱との一騎打ち
戦うこと1時間13分
(「サッカーのロスタイムとかのレベルじゃ、ないじゃん!」と、「73分のロスタイム」へ。)
…漏れる
…漏れる
…痛いっ
…あと10分
…あと3分
…ふぅ。。 なんとか、強敵だった膀胱との根競べに勝利し、
面前失禁を避け、カラオケ&三次会と無事に過ごせました。
今日は300回参加の大御所の記念会だったことも重なって
有益な感想は沢山ありますが、それは胸の内に留めるとし、
『柔道』に改めて感謝の一日となりました。
「永沢正明先生(=師)、ありがとうございました。
あのとき、「せっかく6年やった柔道だ、弐段ぐらい取っておけ!」の
一言で会話が弾みました!」
改めて、自分一人では無力。
周囲に矯正(強制)されて”今がある”なぁと心より感じる2010年4月14日です。
(本題は後日。キマグレンですみません。)