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2026.03.11
ひとりごと

第61話 東日本大震災から15年

東日本大震災から15年

2011年3月11日、私は福岡便から羽田空港に到着した14時を過ぎたころでした。
それから20分くらいの時間が経過し、数本の折り返しの電話をしていたとき震度6、7?の地震がおきました。

羽田空港は騒然とし、私はビックリしつつも、すぐに色んなことを想像しました。
あっヤバイ、あれとこれとそれが、、、。

ひとまず喫煙所で一服しながら、電車は停まると踏んで、湾岸線最後のタクシーに乗り継ぐと、お台場でビルが燃えていて、新木場で液状化した地面から水が噴水のようになっている姿を見た私のソワソワが膨らんだのを思い出します。

間も無く携帯電話の回線はパンク状態で繋がらなくなり、公衆電話を久しぶりに使っていました。

当時の経理の特命レスキュー隊は全員で5人だったが、同時に全国各地に支社を持つ400名の会社の管理本部長兼CFOという立場でクライアントさんにも関わってました。

ようやくリーマンショックの影響から立ち直ろうとしていた日本に突然やってきた大地震は、戦争を体験していない大多数の私たちにとって、とてつも無い出来事でした。

地震というよりも、影響の大きいのは津波でした。
2万人の死者が出た上に、原発問題で余談を許さぬ上に、毎日のように伴う余震。

東京でも15年前の当日は電車が安全点検で停止し、数十キロを延々と歩く多くの人の絵は、いまでも鮮明に覚えています。

社員の安全確認、日常生活に戻ろうとしている人と戻れない人、不安が全面に出ている人が混在し、物事の判断にも困惑し少しギスギスしていたのを思い出します。

そんな中覚えているひとつのこととして、当時のセンバツ高校野球に選ばれていた東北の高校がこんな中野球していていいのか?みたいな論調もある中、背中を押した人は『お前たちはそれが仕事だ、地元みんなの夢でもあるから、やってきた野球やってこい!』

記憶があっていれば、そのときの高校生が大谷翔平世代の少し上、また、すごく狭い地域から佐々木朗希、フィギアスケートでは羽生結弦が活躍しています。

私はその活躍を見るたびに、きっと彼らは人生が一回しか無い事や、生死を分けた貴重な命である事を知っているんだろうな。と、感じております。

人生のスイッチが入った体験の一つとして私も、三十路での友人の病死はすごく強い影響をうけました。

明日がくる当たり前。

生きていられることの尊さ。

今まさにイランでもそんなことが起きていると考えると早く戦乱の世が終わるといいな。
と考えつつも、初代、経理の特命レスキュー隊の隊長としての役割は何だろう?。

企業の社長ができることは、やはり経済を回すこと。
今日も20年計画の1ページを紡いでおります。

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